当院も4/28(土)~5/6(月)までお休みを頂いております。
GWも中盤に差し掛かりましたが、皆さまいかがお過ごしでしょうか。
私は、4/29ゴールデンウイークを利用して東京の日本武道館に柔道の全日本選手権を観戦に来ました。
朝ホテルで、スマホを見ると、着信が。患者さんです。
インプラントの上部構造のネジが緩み、歯が外れてしまったと言います。
上部構造のやり換え治療をしており、次また外せるようにネジを緩めに締めたものが、外れてしまったようです。休み中にこのような事態になると、患者さんも大変です。
1日に和歌山に戻るので、帰ったら、ネジの締め直しを行うことを約束し、アポイントを取り、電話を切りました。。
大変申し訳ないです。

気を取り直して、日本武道館へ向かいます。
私はこの4月29日は柔道を観戦する日と決めています。
大学の時、桐蔭高校柔道部のOBで、元和歌山県柔道連盟会長の故戸村達臣先生のお声を掛けて頂いたのがきっかけです。大学が関東にあり、アクセスがよかったことから、毎年お誘い頂き、九段下の日本武道館に通っておりました。先生が東京に来られた際には、よく食事に連れて行って頂いたり、いろいろと思い出があります。
また、小学校、中学校の時に通っていた健心館畠中道場から、全日本少年柔道錬成大会で、武道館に連れてきて頂き、試合を行ったこともあります。社会人になってからも、館長の畠中耕筰先生、副館長の畠中健先生のお誘いで、少年柔道の引率のサポートをさせて頂いて、私も、柔道着を着て少年柔道錬成大会に参加させてもらったりもしました。その他、様々な試合に観戦に来た思い出があります。
現地に着くと、色々な思い出が去来するこの場所は、私にとって、大切な場所のひとつです。
この全日本柔道選手権は、体重無差別で行うため、現在の体重別に区切られた柔道では見られない、柔道の本質をついた試合がみられることも、醍醐味のひとつといえます。
世界選手権やオリンピックに出場できなくても、この全日本選手権を目指して、全国の猛者たちがしのぎを削る、文字通り、柔道日本一を決める大会であるのです。
この日の試合も興味深い試合が多く、決して身体が大きいとは言えない千葉県警の加藤博剛(ひろたか)選手(Wikipediaで検索したところ、身長は174cmでした!)が、大きい選手を巴投げと寝技を駆使して決勝まで勝ち上がりました。まさに工夫の柔道です。決勝では、世界選手権優勝のウルフ・アロン選手が、延長戦(ゴールデンスコア)の末、加藤選手を破り、初優勝を飾りました。両選手ともに、千葉県所属選手。千葉県所属の選手が活躍すると、かつて千葉県の住民であった私は、やっぱりなぜか嬉しくなります( ^^)

試合が終わり、今回はもう一つ向かう場所があります。
以前大学の学部があった千葉県の稲毛区。
これもまた、柔道でお世話にった方にお会いするためです。

高校時代、桐蔭高校柔道部に所属し、天理大学柔道部出身の大久保健一先生に指ご指導頂き、また先輩の畠中健さん、同級生の下浦牧さんが強豪校の選手を相手に次々と勝ち上がり、全国大会に出場する姿を間近でみていて、刺激をもらい、自分ももっと強くなりたいという気持ちを持ち続けいました。しかし、大学受験もあり、2年くらいで一区切り、道半ばという感じで、高校の部活動を終えました。そのようなことから、大学では柔道だけは一生懸命やろう、自分がどのくらいできるか試してみたい、という思いを強く持っていました。

大学時代、柔道部に所属しながらも、部員が少ないために、練習場を先輩から教えて頂き、外部の道場に練習にいっておりました。千葉市のコミュニティーセンターにある「柔練会」というクラブチーム的な集まりに週2回、参加していました。上京後初めて行った道場で、声を掛けて頂いた尾山眞司さん。今日はこの方に10年ぶりにお会いするのです。尾山さんはミュニケーション力が高く、若手への面倒見が本当によい方で、私も相当な面倒をみてもらいました。。

JR稲毛駅で待ち合わせをし、10年ぶりの再会に固く握手をさせて頂きました!当院は、今年開業して10年になりますが、東京から和歌山に帰る際、ちょうど10年前に、この稲毛で、これからお話しする「柔連会」の仲間を集めて頂き、自分のためにお別れ会を開いてくれました。それから早10年です。。

学生の時によく行かせて頂いた駅から少し歩いたところにある、「モランボン」という焼肉屋さんに向かいました。ここのお店は、お肉の質はかなり良い上に、格安の定食があり、ライスがおかわり自由という、学生には嬉しいメニューがあります。ここの店員の方と顔見知りで、自分にとって、千葉のお母さんといった感じの方でした。入店し、暫くしてから、働いていらっしゃる姿が見えたので、ご挨拶をさせて頂きました。そしてなんと嬉しいことに「、東京歯科大の前田さんですよね!」と、覚えてくれていました((´∀`)少しぽっちゃりされておりましたが、お元気そうで、当時の面影そのままでした(^o^)
お肉も、美味しさと同時に、どこか懐かしい味がしました(* ´艸`)

食事をしながら、たくさんの柔道の話に、花を咲かせました。また、柔連会のメンバーの近況などもお話しして頂き、柔道に携わっている方、そうでない方、月日が流れを感じながら、学生時代の柔連会の仲間との思い出が込み上げてきました。
尾山さんは15年程、第一線で柔道の試合で審判をされており、全日本柔道連盟公認審判員の、Aライセンスを取得されています。全国高校選手権の決勝や、全日本実業団の決勝戦で審判をされるようなレベルでの活動をされていて、この日も、国内の数多くの試合を見られている経験から、自分レベルだと気づかないことを、たくさんお話ししてくれました。柔道の話をされる尾山さんの様子は、20年前と全然お変わりがなく、何か、タイムスリップしたような感じがしました。。一般の会社員でありながらも、熱い気持ちを持って長年柔道に携わられている方です。そのころから尾山さんは、当時ではまだ浸透していなかった、試合の動画なども撮影されて、分析したり、本当にコツコツと頑張っておられたのを間近でみていました。このような高いレベルで現在の活動をされていることを、私自身も、本当に誇りに思っています。

尾山さんには、稽古をつけて頂いたのは勿論のこと、ケンカ四つ(右組対左組)の組手の細かい技術の指導(相四つ(右対右、あるいは左対左)の、オーソドックスな柔道しか知らなかったために、ケンカ四つの組手の状況の有利、不利をよく理解していなかった)や、寝技において、自分が下になった時の、下からの寝技の攻撃技術などを、大学まで来てもらって、マンツーマンで教えて頂いたりしました。私は少年柔道~高校まで柔道を続けていたこともあり、投げ技の入り方などの基本はよくできていたと思いますが、柔道という競技全体を、まだあまり把握できていなかったように思います。尾山さんは、柔道競技というものを、本当に広く理解されていて、柔道のセオリーというものを、柔連会に来てから教わったように感じています。柔道経験者でないと、なかなかよく分からない話ではあると思いますが。。
これを理論的に、言語化して、伝えるのが尾山さんは本当に上手だったと記憶しています。
理論的に相手にわかるように、言語化して説明する能力というものは、現代のビジネスシーンにおいても、必須能力になっていますよね。

暫く道場に通っているうちに、ある練習の日に、自分にとって凄くショッキングな出来事が起こりました。この道場は、いろいろなところからいろんな人が道場に練習に来るのですが、ある日、自分と同じくらいの背丈の、近隣の学生がやってきて、乱取り(試合と同じ様なフリーの練習)を行ったのですが、パワーが違うのか、相手が繰り出す技に全く対応できず、もう嫌というほど散々に投げられてしまいました。練習が終わってから、皆が一息ついている時、自分は、ベンチに座りながら、あまりの無力さに涙が溢れてきました。この涙の正体が何であるのか、悔し涙であることは自分ではすぐに分かりましたが、とにかく涙が止まらないのです。自分ではできる限りのことはやっているという自負があったため、余計に悔しかったのだと思います。乱取りの状況と、その後の自分の状況を見ていたのか、それを周りのメンバーが察知して、色々と声を掛けてくれました。そして、尾山さんが色々と現在の練習やトレーニングの状況を聞いてくれて、いくつかの提案をしてくれました。

先ず、専門的なウエイトトレーニングと相撲の四股。ランニングなどはやっていたのですが、腰を強くするには、負荷をかけたトレーニングをするほうが効果的だという指摘をうけました。体重が65kgそこそこだった自分は、成長期ということもあり、しっかり食事をして、練習に耐えうる力をつけるためにも、身体を大きくして戦ったほうがいいだろうと考え、基礎体力をつけるのと、体重を増やす目的で、ウエイトトレーニングや四股の踏み方をマンツーマンで教えてもらいました。
そこから自分なりに工夫して、瞬発力や技の受けを強くするための足腰を作るために、階段や坂道をダッシュするというトレーニングも取り入いれていきました。

それから練習場所の確保。やはり週2~3日の練習量では、地力をつけるための練習はできません。要するに、質より量をこなすほうが、現状では大事だよということです。町道場や大学の道場をいくつか紹介して頂きました。尾山さんは顔が広いので、最初は挨拶を兼ねて付いてきて頂いたりもしました。
それがきっかけになり、色々なところに練習へ行く、大学に練習仲間を連れてくる習慣が付き、週に5日、練習日を確保することができるようになりました。

そのころ学生で車もなく、基本電車か自転車移動であったことを気にかけて頂き、練習後や試合の際はいつも、車で自宅まで送って頂いたりしていましたね。

当時は、学生だった自分は、非常に恥ずかしことではありますが、これらの時間を他人のために割くことが、一般の社会人の方にとって非常に大変なことだということを全然実感として分かっていなかったように思います。
尾山さんが、これらのことを本当に好意で行ってくれていたという事実。これはもう大変なことです。

柔連会に通い始めてすぐに出場させてもらった千葉県実業団大会では、私は、肩車という大技を食らい、試合会場がどよめくくらい思いっきり畳に投げつけられてしまいました。これも、自分が何をされたのか全く分からず、後からこういうふうに投げられたんだよと周囲から聞かされ、かなり落胆したのを覚えています。
それから数年後、色々と勝つための工夫を行い、十分な練習を積んで、同大会の71kg以下級で準優勝することができました。そして、同じ年の全日本歯科学生大会71kg以下級でも優勝することが出来ました。
小さいながらも、これらの成功体験を積んだことが自分にとっては、非常に大きな出来事になっております。(勿論、努力したことが全て報われたわけではなく、報われなかったことのほうが、割合としては多かったわけですが。。)
でも、一番の収穫は、結果が出なかった時も、柔道から逃げなかったこと。

このように学生時代は、勉強は最低限で、柔道を凄く一生懸命やっていましたが、この時に培った体力や集中力、工夫する力、目的を達成するために考える力、やりきる力を備えることが出来たことが、現在の仕事をする上でも、実は核になっているのです。
 現在私は、自身の患者さんに対する治療データをまとめあげ、分析、検証し、学会や勉強会で発表を行うことをライフワークにしております。もう5年位になりますでしょうか。最初の頃は、手法や発表もたどたどしく、周囲からもあまりよい評価を得られませんでしたが、ここでも、やっていくことは、柔道の時と基本、同じです。周囲の先輩たちのサポートを受けながら、反省、工夫し、やり切っていく。それの繰り返しです。最近では学会発表、勉強会での発表も結果が出てきており、周囲の私を見る目も確実にかわってきました。
 私は自身の手掛けている歯科治療内容を、第三者から批評を受け、オープンにできるくらいのものにすることを、自身のスタンダードにしていきたいのです。これらは、間違いなく患者に還元できるものですし、患者利益に繋がるものです。

話を戻しますが、柔道において、それらの重要な要素を身につけることは、おそらくひとりでは難しかったでしょう。
この尾山さんの気遣い、サポートがあってそれらのことが形になったことは間違いありません。そして、柔連会の他の先生やメンバーの方々も、自分が真面目に取り組んでいたからか、好意的に接してくれ、そのこともプラスに働いたように感じております。
尾山さんと、他の先生、メンバーに、本当に感謝です。

今日書かせて頂いている学生時代の柔道のお話は、仕事におけるスタッフ教育においても同じことが言えると思います。
新人のスタッフ(特に歯科衛生士)には、指導する側も、様々な部分での多少のロスを想定しながら、時間を割き、指導を行うことは必要なことでしょう。スタッフのほうでも、良い指導者を見つけ、一定期間(最低2年間、できれば3~4年)じっくりと指導を受けるべきだと思います。
指導する側も、スタッフ指導に足る知識や技術を身に着けておかなければ、スタッフ指導は成り立ちません。やはり、スタッフが勉強しよう、技術を吸収しようというコンテンツを備えて、環境を整備しておかなければ、いけないと思います。
あとは、伸びていくスタッフに共通することは、やはり、周囲の協力を得やすい状況を自分で作っていく謙虚さだと思います。

自分にとっての平成の時代は、主に大学~現在までということになりますが、平成という時代を、自分はこういうふうに生きたよ、ということをこの節目の時に、書かせて頂きました。
今日書いたことは、私にとって、平成という時代のなかの、とても大切な出来事のひとつです。

楽しい会食を終え、もう一度、店員の方に挨拶をし、お気に入りの焼肉屋モランボンを出て、懐かしい稲毛の街を歩きながら、駅に向かいました。途中の駅まで尾山さんと同行させて頂き、その後、これもまた懐かしいJR総武線に乗りながら、宿泊先の秋葉原に戻りました。
そして、乗車中、今は忙しく、柔道から距離を置いてしまっている自分ですが、自分自身を育ててくれた柔道に、もう少し、なんらかの形で関わっていきたいなと思いました。

日付は5月3日、令和の時代になって早や3日です。
月日は経つのはほんとに早いです。

さて、令和の時代を、これからどのように進んでいきましょうか。

これからもコツコツとやっていくというスタンスに変わりはありませんが、歯科治療においては、これまでの経験を生かして、それらをブラッシュアップしていく、自分自身、そういうステージに来ているという実感もあるので、今やるべきことをよく見定め、良く考えながら、やっていくことの質、クオリティーを上げていく努力をしていこうと思います。これは、学生時代の柔道で、前述の様に、一定の成果は出たものの、残念ながらやりきれなかった部分というものがあり、それらを克服していく作業と、もしかしたらリンクするかもしれません。

今回、私の柔道の恩師、尾山眞司さんにお会いし、平成を振り返ると同時に、令和の時代をどのように進んでいくかを考える、よいきっかけを頂きました。
本当にありがとうございます!

私は、令和の時代を、コツコツと、そして、考えながら、前に進んでいきます。

それではまた。